視力を失っても守られた安心ー埼玉カツラ専門店プロフィットLLC上尾

25年を共に歩んだ教諭のお客様──視力を失っても託された事とは

プロフィットLLCには、長い年月を共に歩んできたお客様が数多くいらっしゃいます。 その中でも、25年以上にわたるお付き合いとなっている学校教諭のお客様との関係は特別な記録です。 教壇での出来事や生徒との日常、時には保護者の話、同僚教諭の裏話まで。聞く立場ではない貴重なお話も語ってくださいました。 車が好きで、鉄道旅行も駅弁も大好き。明るく親しみやすい性格で、普段着は派手、明るい性格の持ち主、髪型にも強いこだわりがある──。 そんなお客様は月に3回もお手入れに通ってくださるほど、プロフィットLLCを好意的に利用してくださいました。

視力を奪っていった病──雑談に含まれる本音

もともと視力が弱かったものの、眼科には通わずに過ごしていました。 しかし50歳を過ぎてから病院通いが始まりました。診断は白内障、緑内障、そして角膜の異常。 ご家族には心配をかけまいと、むしろ気の許せる赤の他人である私に雑談を交えながら病状を話すのです。 「最近、視界がかすんでね」「黒板の文字が見づらい」──。 その言葉の奥にある不安の重さは、痛いほど伝わってきました。

日に日に視力は衰え、やがて白杖が必要なほどになっても、障害者申請をせず、 「きっと治せる」「諦めたくない」と口にしませんが伝わってきますから「申請されては?」ともいえないものでした。 有名な眼科を何件も渡り歩きましたが、状況は改善されず、失明が避けられない現実が突きつけられました。 その経緯を最もよく知っていたのは、他でもない私でした。

支えの日常──お仕事と切りはなし人間として

深刻な病を訴えても、患者の回転率を優先する眼科からは「他の患者に迷惑かかるからもう来ないでください」紹介状だけ奪い取られた挙句に突き放されたり 、 この症例を出世に利用されたように感じる医師、腕はあるが救えない医師──評判の眼科を巡っても、視力は戻りませんでした。 苦しみを語るその姿を、私はただ横で聞くだけ、胸が締め付けられる思いでした。先の紹介状は名高い病院からのものでした「見えないから中身を開けてみてくれ」と頼まれて開封してみると聞いたことのない病名がつづられていました。調べてみると難病です。xxxx症と書いてありました。

その後は、夕暮れ時の暗いときあ安全のために自宅まで送迎したり、重い買い物があれば荷物を持ってあげたり、できる限りのことを手伝うようにしました。 片目の視野はほとんど欠け、残る視界も霧がかかったように白く濁ってみえない。「病状を認めたくない」「今日はほこりが多すぎて見えない」半ばノイローゼ。 自分の髪型すら見えない──その現実の中にあっても、お客様が大切にしたのはカツラでした。

見えなくても残ったもの──体の一部であるカツラへの愛着

髪をうまく整えることができなくなっても、カツラの髪を手で撫で、感触を楽しむ習慣だけは変わりませんでした。 視覚が失われても、触覚がその代わりとなり、心を支えているのだと私は理解しました。 だからこそ私は、髪がよりサラサラになる加工を施し、手触りだけで安心できる状態にしました。 見えなくても「触って分かる安心」を届けたかったのです。

自分ではヘアスタイルが見えない。状態も分からない。 髪のすべてをプロフィットLLCに託してくださったのです。 高額な治療費や生活費を背負うお客様に、決して余計な負担をかけまいと、新しいカツラを勧めることはありませんでした。 修理技術を駆使し、アフターケア料金だけで済むよう工夫を凝らし、黙ってお返しする。 「余計な心配をさせないこと」も、私にできる本当に些細な支えのひとつでした。

お客様が教えてくれたもの

25年以上の年月、仕事の話も趣味の話も、そして病との闘いも、すべて共有してくださったお客様。 視力を失ってもなお、カツラを大切に使い続ける姿に、私は物を大切にする心と、信頼を託す重みを教えられました。こういういきさつを何度も経験するうちに独自のカツラ再生技術も開発スケールアップされてきました。新品カツラがその人にとって最善といえない状況もあります。

本日もお客様との実話を記録させていただきました。
見えなくなっても、カツラを愛し、託してくださった信頼に応えるためには、技術の問題に行き着きます。
色々な経歴や立場のある弊社顧客には敬意と誇りに思い学ばせていただいております